第9話
おかえり、と言うマキの声に振り向いた。
見れば、ドアのところにリズムとカノンが立っている。
リズムはしゃちほこばって、
「ただいま帰投いたしましたニョロ」
と敬礼し、カノンは
「すいませんでした」
と頭を下げた。
カノンの目は少し赤くなっていたけれど二人とも部室を出て行ったときよりもさっぱりした顔で、どうやら問題は解決したらしい、とマリーにも察せられた。
と言っても、カノンの緊張が度を越したものではないかということくらいしか、マリーにはわからなかったけれど。
こういう時に、自分の年齢を恨めしく思う。
先ほどのマキとカナのやりとりでもそうだったけれど、自分だけがわからない、という場面はしばしばあった。
疎外感、というほど強くはないけれど、一抹のさびしさは禁じ得ない。
そしてそれ以上に、悔しいと思う。
マキをはじめ三年生は今日が最後のステージとなる。
一年どころか、実質としてはたった半年しか一緒に活動できなかった。
マキのギターをもっとそばで見たかったし、教えてもらいたいこともまだまだあった。
二年生のカノンは残るけれど、キーボードとギターという大きな違いがある。
やはり同じギターとしてマキのそばにもっといたかった。
何よりマリーはマキのことを尊敬していたから、それが残りほんのわずかな時間のあとに終わってしまうのかと思うと、率直に言って時間を巻き戻してしまいたいくらいの気持ちだった。
マキはマリーの気持ちなど気付かぬふうにリズムとカノンに話しかけて、朗らかな笑い声を立てている。
カノンの緊張がほぐれリズムも普段の様子に戻ったことを安心しつつも、その輪の中に入れず、自分でも子どもじみていると思いながらマリーは口を尖らせた。
「………ちぇ」
せめてあと一年早く生まれていたら。
カノンと同い年なら、もう一年は長くマキと一緒にバンドが組めていたのに。
でもそれを言い出したらきっと同い年が良かったとか、高校以前に出会いたかったとか、もっともっと欲張りになってしまう。
そしてそのすべては今更どうにもできないことばかりなのだ。
時は無情にも刻々と進み、時計をたしかめたらステージまでもう三十分を切っていた。
今日まで初心者ながら精一杯練習してきた。
小さなステージはいくつかこなしたけれど、体育館を使ってという大きなものは今日が初めてだ。
中学校の時はソロで舞台に上がったけれど、今日はバンドという形での発表となる。
一人じゃなくて、みんなで、五人でつくり上げるステージ。不安もあり緊張もあり、楽しみもあって、そしてその後の大きな別れの予感が胸を詰まらせている。
席に戻って足をブラつかせながら、皆の顔をそれとなく眺めた。
マキや鼓姉妹も各々のイスに戻って、もう一度楽譜を確認したり、目を閉じてイメージを練っていたりしている。
マキは愛用のギターを抱え、かといって指を動かすでもなく、瞑想するようにじっと目をつむっていた。
一体何を考えているのだろう。
ステージのこと、曲のこと、バンドの皆のこと、思い出、これからのこと。
あるいは何も考えていないのかもしれない。
マリーはその横顔をこそりと盗み見て、小さなため息を吐いた。
二十分前になった。ギターをケースに仕舞い、マキが立ち上がった。
「よし。みんな、準備はいい?」
もちろん全員準備はできている。
意気軒昂といった声を、リズムが張り上げた。
「オッケーニョロ!」
「だ、大丈夫です」
「………いつでも、いける」
「い、いけます!」
マキは皆の顔を一度ゆっくりと見回し、破顔一笑、じゃあ行こうかとドアに向かった。
マリーはしんがりで、きっぱりとした足取りで出て行く先輩たちの後を追う。
ドアを閉める時、部室を振り返った。誰もいない、にぎやかな部屋だと思った。
ほんの十分程度のステージを終えたらまたここへ帰ってくる。
たったそれだけのことなのに、この部屋のこの空気はもう二度とないのだと、唐突に感じた。
マキのびしりとした物腰、リズムの笑い声、カノンの慌てふためく悲鳴、カナの物静かな話し方。
マリーは目元を服の袖で乱暴にこすって、ばたばたと皆を追いかけた。
先頭のマキたちからやや離れたところに、カナがゆったりと歩いている。
その少し後ろで足を緩めると、カナがちらとこちらに目を向けた。
「………本番」
「な、なんですか」
「………楽しみ、だね」
もしかしたらカナは自分を待ってくれていたのかもしれない、と思った。
だけど素直に礼を述べるのも癪で、マリーは大股に歩幅を広げてカナと並んで歩いた。
この先輩が一番よくわからなかった。
実家がライバル関係にあるがゆえに何かと気に障るけれど、カナ当人は全然気にしていないのが悔しい。
昨日のわたがしのように何かとありがたくないわけでもないおみやげなどもくれたりする。
目に入ってないようで、今のようにさりげなく言葉をかけてくれたりもする。
いろいろひっくるめて、やっぱり、悔しい、と思う。
「………カナ先輩には、負けませんから」
カナはひっそりと、でも楽しげに、わたしもまけない、とベースを掛けた肩を揺らした。