第8話
さっきまではカノンが落ち着かなくて何度も席を立っていたのだけれど、今度はマリーがしきりとドアの方を気にしていた。
リズムがカノンを追いかけて出て行ってから十分ほどが過ぎたけれど、二人が戻ってくる気配はない。
そわそわと何度もドアを見、時計を見、今すぐにでも立ち上がろうとするマリーにマキも二三度は落ち着いてと苦笑混じりに言っていたけれど、十分が過ぎてからはマキの表情にもかすかな不安がよぎりはじめた。
カナはそんな二人を窓際のいつもの席で眺めて、考えた結果、ガタッと音を立てて立ち上がった。
そわそわしていた二人の肩がびくりと跳ね上がった。
「ど、どうしたのカナちゃん」
「………お茶」
打ち合わせの前にカノンが淹れてくれたお茶はとっくに冷めていた。
今日のお茶は気分を落ち着かせる効果があるというカモミールティーだ。
カナはいつもカノンがしているように茶葉の分量を計って、三人分のお茶を淹れなおした。
「………どうぞ」
突然のカナの行動に唖然としていた二人の前にカップを置くと、はっと我に返ったように二人の硬直が解けた。
魔法みたい、と愉快に思いつつカップを口元に運ぶ。
初めてにしてはなかなか上手くできた方ではないだろうか。
香りもいい。満足して喉を湿らせていると、視線を感じてカナは首を曲げた。
「………何か?」
「……何でもないです」
と言うくせに、カナが紅茶に目を戻すと再び視線を感じる。
今度は黙ってそちらに顔を向けると、そそくさとマリーが目をそらした。
「………何か?」
「…………」
あくまで無視を通すつもりらしい。ふむ、カナは軽く唸った。
「……淹れ方、間違ってた? だったら、ごめん。マルちゃん」
「マリーです!」
叫んでから、はっとマリーが口元を押さえる。
してやったり、である。カナはもう一度首をかしげた。
「………何か?」
「な、何でもないですってば」
マリーが狼狽えた声で返事するのと同時に、ぷっと横のマキが噴き出した。
「もう、早く素直になったら? マリーちゃん。第一カナちゃんの方が上手だよ」
「ま、マキさん!」
「………何の、話?」
二人の話に頭が追いつかない。
マキは面白くてたまらないという風に、マリーの体をカナの方に押した。
「お礼が言いたいのよ、マリーちゃんは。ね?」
「うう………」
顔を赤くして眉根を寄せたマリーはおよそ礼を述べてくれる雰囲気ではなかったのだが、マキの言葉を否定しないということはその意志はあるらしい。
マキに背中を押されるようにして正面に立ったマリーを、カナはゆっくりと見上げた。
「……あ、あの」
「……うん」
「あ、あああ、ありがとう、ございま、した……っ」
最後は半ばヤケクソじみてはいたが、頭を下げてマリーが言い切る。
うん、とカナは頷いて、マリーの形の良い頭をぽんぽんと撫でた。
ただでさえ赤くなっていたマリーの顔が、さらに赤くなった。
よくできました、と横からマキの手が加わると、もう湯気が出そうなほどだった。
「わたしからも、ありがとうね。カナちゃん。おかげで落ち着いたわ」
「………何の、話?」
首をかしげる。マキはそれには答えず、肩をすくめて席に戻った。
とぼけてみたけれど、マキにはバレているだろう。
もう三年もの付き合いだ。このバンドを始めるまでマキやリズムのことは顔も名前も知らなかったのに、今では誰よりも通じ合えている気がする。
それはあるいは、家族よりも。
だから、リズムとカノンのことは心配はしていなかった。
リズムならきっと上手くカノンの緊張を解してくれるはず。
それは予想ではなくて、信頼だった。
カナは自分の前で、今のやりとりが把握しきれなかったのか、不可思議な顔をしてマキを見つめるマリーの服の袖を引いた。
えっ、とびっくりしている顔がおかしくて口元がほころぶ。
「………がんばろ」
マリーは少し口ごもるように唸った後、
「当たり前です」
とぶっきらぼうに答えた。
頼もしいね、とカナはかわいい後輩の腕をたたいた。