第4話
中学での文化祭の記憶はほとんどない。
楽しかった覚えがないし、逆につまらなかったという覚えもない。
参加はしたはずだ。義務だったから。その程度の記憶だった。
三年間、毎回舞台に上がってソロで楽器を弾いた。
バイオリンは二年生の時だったか、一年だったか。どの年に何の楽器を使って何の曲を弾いたかもろくに覚えていない。
舞台は親の意向で、学校側がそのように段取りをした。
舞台に上がれるのは時間の都合上、一部の生徒だけで、他の生徒はみんな審査を受けていたけれどマリーだけは無条件に舞台に上がった。
御手師家は学校に多額の寄付をしていた。
音楽に関しては親が情操教育の一環だとかで熱心に薦めてきたから、幼い頃からウィーンやパリのコンサートに連れて行かれたり、様々な弦楽器を嗜んできた。
楽器は一度さわればだいたい弾けた。どの教師もマリーを天才的な腕前だと褒めそやした。
親はずいぶんと喜んでいた。マリーは音楽は続けていたけれど、楽しいとはまったく思わなかった。
楽器はひと通り習ったけれど、ギターだけは野蛮な楽器だと言って母親がさわらせなかった。
しかし、皮肉なことに親の勧めで入った高校で最初に音楽に触れたのがマキが演奏するギターだった。
マリーは震えた。こんな音楽もあるのだと、初めて知った。
それは新入生向けの部活紹介のステージだったのだけど、その日のうちにマリーは部室に押しかけて入部した。
親は泡を吹いて卒倒しかけたが、構わなかった。
今まで黙って言うことを聞いてきたのだからこの三年くらいは勝手にやらせてもらうことにした。
そんなわけでマリーはマキに夢中だった。マキのギターだけでなくその人柄にも心酔した。
バンドのリーダーとしてマキは分けへだてなくどのメンバーにも接した。
ギターの腕を鼻にかけることもなく、常に向上心を忘れずに謙虚で努力家だった。理想の人だった。よくリズムに、
「マキちゃんはマルちゃんにとって神ニョロね!」
とからかわれるが、正直なところまさしくそれだった。
むしろいるかいないかもわからない神様よりも学校に行けば会えるマキの方がよっぽど崇高な存在であったかもしれない。
そんなマキが文化祭を案内してくれているのだ。マリーは舞い上がっていた。
廊下を歩く足取りも浮ついて、傍目には子猫がはしゃいでいるようにしか見えなかったがマリーは天にも昇る心地だった。
「マリーちゃんマリーちゃん、ちゃんと前見て歩かないと危ないよ」
バルーン展示を見終え、次の教室展示に向かう途中、ふわふわ歩くマリーを隣からマキが注意する。
注意された端から前から来た男子生徒にぶつかりそうになって、マリーは間一髪かわした。
「す、すいません!」
「あはは、人が多いから歩きにくいよね。マリーちゃん小柄だし、はぐれちゃいそう。あ、そうだ」
そう言ったかと思うと、いきなりマキに手を掴まれてマリーは硬直した。
「手つないで歩けば、はぐれる心配もないよね」
キラキラと眩いばかりの笑顔で言われて、マリーは危うくその場で気絶しかけたが、もったいないので気力で乗り切った。
「ほら、カノンちゃんも」
振り向いてマキはやや後ろを歩くカノンにももう片方の手を差し出す。
「え、あ、いや、私は……」
「いいからいいから」
半ば強引にカノンの手を掴むと、マキは今更照れくさそうに笑った。
「子どもっぽいかな」
「そ、そんなことはないです! マキ先輩ナイスアイディアです! ぼ、ぼく一生このまま先輩についていきたいくらいです!」
マキと繋いだ手をぎゅっと握りしめてマリーは言った。
包み隠さず素直な心情を述べたつもりだったが、マキは冗談と受け取ってか、
「あはは、マリーちゃんは大げさだなあ」
と楽しげに肩を揺らした。
「あ、次の教室着いたね。お化け屋敷だって!」
「お、おばけ……!?」
バンド一の長身だが人一倍怖がりなカノンが青ざめるのに、平気平気、とマキは下から顔をのぞき込んで言った。
「みんなで手つないでるもん。大丈夫だよ」
「わ、私なんかに構わないでいいですから……」
「そういうこと言わないの」
ぺしっ、とカノンのおでこを指で弾いて少しだけ怖い顔をしたマキは、じゃあ行こうか、とマリーにはいつもの笑顔を向けた。
「マリーちゃんはこういうの平気?」
「ぜ、ぜぜぜ全然大丈夫れす!」
「あー、ダメ系なんだね」
聡いマキは察して、さらに強くマリーの手を握った。
「でも、みんなで行けば怖くないよ」
ギターを弾いているせいか所々硬くなっているマキの手のひらの感触を鮮やかに感じて、マリーは恐怖を忘れるどころか何もかも記憶を吹き飛ばしそうになりながらお化け屋敷を乗り切った。